市川猿紫

作品解説

「青海波」

明治30年(1897)6月30日両国中村楼にて開曲。
作詞永井素岳、作曲三世清元梅吉。
五世清元延寿太夫の名披露目に作曲された物で、その為曲名の「青海波」は、初世清元延寿太夫の前名が豊後路清海太夫だった事と、またその定紋に因んでおります。 四季に彩られた日本各地の海の名所を巧みに歌詞に織り込み、しっとりとした恋の情緒や、恵比須の神の目出度さ、民謡の越後追分から節回しを引用したと言われる舟唄を情感豊かに唄い上げ、最後には高砂と清元の栄を祝って締めくくります。 清元のご祝儀物として人気が高く、演奏だけでなく舞踊でも各流派で様々な振付けがされております。
今回は、市川猿紫が踊りの師匠である藤間芙紗と共に素踊りでご覧にいれます。

「青海波」波の扇
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「春興鏡獅子」

明治26年(1893)3月東京歌舞伎座初演。
作詞福地桜痴、作曲三世杵屋正次朗。
九代目市川團十郎が、娘の踊りのお稽古で見た「枕獅子」から着想を得て作られた作品で原曲の「枕獅子」が廓の傾城であったのを大奥の女小姓に役を改めております。
しかし九代目市川團十郎がこの作品を発表したのが晩年だった為、初演一度のみの上演となり、その後しばらく途絶えておりましたが、六代目尾上菊五郎が復活し上演を重ね洗練された物が現在に伝わっております。
舞台は初春を迎えた千代田城大奥。 正月の年中行事「お鏡曳き」の余興に、将軍はお気に入りの小姓弥生の踊りを所望します。 茶の湯の途中だった弥生は老女と局に手を引かれ将軍のいる大広間に連れてこられます。 始めは恥じらっていた弥生でしたが、国生みの神話に始まり、川崎音頭に御殿勤めの厳しさや春の花見の楽しさ、また二枚扇を巧みに使った振りを次々と踊って見せていきます。 そして弥生が祭壇に祀られていた将軍家秘蔵の獅子頭を手にすると、その獅子の魂に引きずられるようにいずこにか姿を消してしまいます。 やがて獅子の精が現れ、胡蝶の精も加わって獅子の狂いとなり勇壮な毛振りを見せるのでした。
前半の可憐な少女と後半の勇ましい獅子を演じ分けるのは大変難しい、この歌舞伎舞踊屈指の大曲「鏡獅子」に市川猿紫が挑みます。

「鏡獅子」獅子
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